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Saturday, March 31, 2018

万年筆のノート術

知人がプレゼントしてくれた原稿用紙。
かなり前に製造中止になったKOKUYOさんの万年筆専用ノート(手帳サイズ/ノ-CH2U)のストックが、あと1冊になってしまいました。
KOKUYOさんの 書翰箋(ヒ-211)は、万年筆用のメモ帳としては、自分の中では最高クラス。

英語の時は横書きで使う。お値段も優しく。
インクは常にブルーブラック。

【2006.6 Lapita No.126】 2008年に休刊になった雑誌。大切に保管していたのですが、紙が劣化して黄ばんできましたのでデジタル保存。

Wednesday, March 28, 2018

「Stop shrinking The 大分合同新聞」

コロラド州デンバーの新聞『Denver Post』の中に「Stop shrinking The Denver Post」(縮小するデンバーポスト)という読者の意見を大きく取り扱った記事を見つけました。

この読者夫婦は、『Denver Post』を(プリント版)を定期購読し、最近購読期間延長で$500を支払いました。

そんな彼らが失望しているというのです。3月24日にデンバーで開催された「Denver Democrats County Assembly」というイベントを『Denver Post』がスルーしたらしいのです。デモクラシーについて興味のある彼らは楽しみにしていたのにガッカリしたのだと。真面目なご夫婦です。


年々購読料が上がっていくのに新聞のボリュームとコンテンツは減少。編集者が絞り込んだ興味のないセレクション記事を読まされた挙げ句、「続きはオンラインで」というスタイルを迷惑に感じ「購読料を払い過ぎた」と感じているのです。読者が知りたいこと(ニーズ & ウォンツ)と紙面がマッチしないという問題点。

「オンライン新聞は好きではない。紙の新聞が好きなんだ。」というのが彼らの主張です。

勿論、彼らも新聞業界が苦労していることは理解しています。しかしながら、デンバーより規模が小さく、平均収入も低い彼らの地元ピッツバーグの新聞『Pittsburgh Post-Gazette』の方が『Denver Post』よりボリュームがあり良い新聞だという厳しいご指摘。

その厳しいご指摘を大きく載っける『Denver Post』。この件についての新聞社のアンサーはありませんが、掲載したということがアンサーなのでしょう。


私は地元の「大分合同新聞」を定期購読していませんが、週一度はコンビニで購入しています。あとは、気になった記事がある時、図書館でアーカイブを読むこともあります。残念ながら、マイノリティな私に必要な情報と興味(ニーズ & ウォンツ)が記載されていないのでつい後回しになってしまいます。

私もプリント版の新聞の方が好きです。時間が空くと世界中の新聞をオンラインで読んでいますけど。語学力に問題がありますので、英語圏、または英語で読める新聞になりますが、英語以外の新聞の読解にチャレンジすることもあります。外国の地方紙を日本の田舎で読めるなんてね。「地方紙を読む男」です。

「Stop shrinking The 大分合同新聞」

新聞社にとって難しい時代。大分県内でパイの取り合いということについては他紙を圧倒していますが、パイの拡大については厳しい現実なのではないでしょうか。シュリンクするとレベルも落ちてくるもので。釈迦に説法を承知で。

シアトルの新聞社に勤める知人も「厳しい」と言いながらも、マーケティングを強化し、常に新しい試みにチャレンジしています。

Sunday, March 25, 2018

マスコミ・ナチズム

日米だけではなく世界中でフェイク・偏向報道について物議を醸しています。世の中そんなものということは理解できていますが、私個人としては「目的のためには手段を問わず」という手法は良しとしていません。

大分県立図書館に出かけ、ジャーナリズに関する本を読んできました。

途中、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」についての報道のあり方について物申すという本を見つけ目を通す。口に出すのも憚られるほどの凄惨で残酷な未成年による鬼畜事件であり、私はこの報道をアメリカで知りました。「地下鉄サリン事件」「神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗)」とともに、アメリカの犯罪TVドラマやノンフィクション系の番組で引用されることの多い事件の一つです。

日本のメディアは、被害者である女子高生について「非行少女である」「逃げるチャンスはあった」などネガティブに伝えました。その中で朝日新聞社さんが、加害者の未成年達を匿名で、被害者の女子高生を実名で伝えたことについて『女子高生コンクリート詰め殺人事件―彼女のくやしさがわかりますか?』の著者が朝日新聞さんに問い合わせた内容が書かれていました。以下、抜粋。
『お嫁に行く心配がないから死者は実名報道』 
「ニュース三面鏡」を書いた記者を出せ、と言ったら、その記者は席を外している、用件があればわたしがきく、ということで、わたしはその記者に「数々の疑問」をぶちまけたのである。 
電話口の社会部記者は「朝日の報道にあやまりはない」の一点ばり。サンゴ礁のねつ造記事があり、最近の朝日は誤報の訂正謝罪にいとまのないありさま。訂正謝罪の常設コラムを設定したら・・・と提案したくなるほどだが。一読者に対してはゴーマン無礼だということもまた、定評のあるところである。 
「なぜ加害者は匿名で、被害者を写真入りで実名報道するのか。実名報道で、被害者の人格まであげつらうのは許せない」 
「性犯暴力で生存している場合は匿名、死んだ場合は実名報道というのが朝日の基準になっている」 
「その理由は?」 
「死者を匿名にしても利益がないからだ」 
「もうお嫁にいく心配がないということか」 
「ま、そういうことだ」 
「朝日では婦女暴行はむごい犯罪ではないということになっているのか。この事件はそもそも強姦から始まって、結果として殺してしまった事件ではないか。強姦されたことによって人生を狂わせた女はいっぱいいる。強姦は女にとって死にひとしいむごい犯罪だと女は思っている」ガンガンまくしたてると、記者はトーンを落として「そういえば、婦女暴行もやはり、むごいですよね」とのたまった。死んでしまったら、匿名にしても利益がない、という感覚には、心底おどろいた。死者にも名誉もあれば、人権もある。遺族は生きているのである。遺族の心情を考えれば、死者をペンの力でふみにじることは許されない。
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初報時に、日刊新聞であからさま非行少女キャンペーンを張ったのは、わたしの知る限り朝日新聞だけである。
この本では、朝日新聞さん一社を攻撃しているわけではなく、メディア全体に対して疑問を呈しています。1990年の本なので、現在の朝日新聞さんの実名報道基準は変わっているのかもしれませんし、変わっていないのかもしれません。著者は、門野晴子、中山千夏・丸山友岐子・日方ヒロコさん。女性の人権や性的暴行事件について女性目線で書かれています。

門野晴子さんが、「マスコミ・ナチズム」について触れています。以下抜粋。
『マスコミ・ナチズム』 
一つ目の記事が二つ目の記事を補い、二つ目の記事が三つ目の記事を補い、三つ目の・・・記事は互いの相乗効果が重なって、なお残酷な暴力をふるい続ける。 
そして不気味に一致していることはまだある。表面的には売らんかな主義だが、その根底には世の体制に合わない者は排除せよ、排除されても仕方がないというマスコミの正義の味方を装った犯罪性と傲慢性だ。さらにマスコミを構成するひとりひとりの退廃した貧困で無恥な意識である。 
世の中から、自分たち、もっというならば自分たちの代表されるような選良な人々以外の追放し、抹殺するマスコミはナチスを思い起こさせる。
昨今のフェイクニュース・偏向報道にナチズム的要素はないでしょうか。私はこの記述を読み、森友問題報道が頭に浮かびました。

トランプ大統領や安倍首相のような強いリーダーシップをもつ権力者に立ち向かうには、フェイクニュース・偏向報道という手段で対抗するということなのでしょうが、それが正義となぜ言えるのでしょうか。

特に朝日新聞さんが活躍しておられるようですが、「良いことは良い、悪いことは悪い」派の私でも気になることがあります。

ネットでチェックすると、アンチ安倍総理とともにアンチ朝日新聞さんの動きも激しく、両者の言い分を読んでいると、お口も悪く日本のお先は真っ暗なのではないでしょうか。「和を以て貴しとなす」という聖徳太子時代が懐かしい。私は、こんな国の汚れた町を25.000 kmも清掃して歩いているのか・・・悲しいです。
朝日新聞さんの社史を全巻全ページめくってみました。めくりすぎて右腕をいわしてしまいました。特に明治時代は面白く、若手社員さんより詳しくなったかもです。

明治時代の社史を読みながら、「江戸時代のかわら版(読売)はフェイクだらけだったんだろうなぁ」と思ったのです。そう考えると、そもそも新聞とはそんなものなのかなと。当時のかわら版を見てみたいのですが、国立博物館とかに展示されているのでしょうか。

Saturday, March 24, 2018

【2018.3.24】孤高のゴミ拾い: 25,072 km

重たい木箱、水分を含んだ重たい雑誌、飲み食い散らかし、そしてお米・・・イロイロと「Dirty and the City」の大分市です。
 「米なんか捨てるんかぇ。どげぇなっちょんかい!」と呆れと怒りが入り混じった声をお聞きするのですが、大分市では割と普通のことです。少なくとも私のゴミ拾い道中15 kmでは日常茶飯事です。田畑にもゴミを投げ込むのですから。
 大分市は、駅周辺だけではないのです。
 これから大変ですね・・・。お天道様は見ていますよ。

Thursday, March 22, 2018

私はメディア報道に騙された・・・大分のメディアは?

前世紀のアメリカでの話です。アメリカで定期購読をして読んでいた雑誌「New Republic」のスター記者が書いた記事の多くがフェイクだったという事件がありました。私もキレイに騙されたうちの1人です。「Times」や「Newsweek」などメジャー誌以外の雑誌もしっかり読んでみようと思ったのが定期購読のキッカケで、定期購読すると80% OFFとかそんな特典があったと思います。
『ニュースの天才』(ニュースのてんさい、原題: Shattered Glass)は、2003年のアメリカ映画。ビリー・レイ監督、ヘイデン・クリステンセン主演作品。1998年に起きたアメリカの権威ある政治雑誌『ニュー・リパブリック』の記者スティーブン・グラスによる記事の捏造事件を描く。(wikipedia)
事件後、更新せずに解約しました。映画は見ました。 歴史学者先生の「神の手」みたいな話ですが、

Read between the line (lies)
行間を読め(行間の嘘を読め)

という決めフレーズは、強く心に刻まれました。たまに時間がある時にオンラインで読んでいます。

最近、フェイクや偏向ニュースの話題をよく耳にします。ネットでニュースをチェックをする人達の中にはヘッドラインだけで判断し、年輩の方々も少ない情報ソースだけで判断する傾向にあるのではないでしょうか。それが嘘であろうが本当であろうが関係なく。

1. ディスインフォメーション
2. ミスインフォメーション
3. イエロー・ジャーナリズム
4. プロパガンダ

についてマーケティング業界も常日頃からシビアに考えなければなりませんし、「風評被害」などへの危機管理対策も必要不可欠です。

2-3年前の話になるのですが、中国がプロパガンダ・キャンペーンの一環としてオーストラリア最大紙「Sydney Morning Herald」と契約を交わしたというニュース記事を読みました。中国の海外に向けてのプロパガンダの予算は年間$10B(≒1.065兆円)で、「Washington Post(ワシントンDC)」「Daily Telegraph(ロンドン) 「Le Figaro(パリ)」 とも同様の契約を締結しています。「Washington Post(ワシントンDC)」などは、慰安婦問題について中韓サイドの主張を一方的(?)に流しているように見受けられます。

アメリカ初期の大統領「ジョン・アダムズ」「ベンジャミン・フランクリン」が、フェイクニュースを使って選挙戦を戦ったことは有名な話です。

どの国も大なり小なりやっていることなのですが、「果たして正しいことが伝わるのであろうか」と、話半分疑いの眼で見聞きしています。

以前、某全国紙のワシントンDC特派員(記者)さんが、ホワイトハウス報道官の会見での発言の一部分切り取り、自分の都合のよい解釈をして日本に伝えました。よくあることなのかもしれませんが、違和感を覚えた私はその発言内容をアメリカのニュースサイトで確認し、「あ、やったな。ズルい」と。

英語がわからなければ、「嘘ではないが正しくもない」情報しか頭に入ってこなかったわけです。だから勉強しなければならないのです。メディアから流れてくる情報にフェイクがあってはいけないと思っている派ですが、「嘘ではないが正しくもない」というような情報が流れてくることは日常茶飯事ではないでしょうか。人間が書くことですし、商売でもあるわけですから。現在の森友報道をAIが書くとどうなるのか、非常に興味があります。


わが町大分のメディアはどうでしょう。

邦画「クライマーズハイ」で、事故の遺族が地元新聞社に新聞を買いに来るシーンが印象深いです。

「地元の新聞でしたら、一番詳しいことが書いてあるかと思いまして。なんで飛行機は落ちたのですか・・・誰も本当のことを教えてくれないような気がして。どうか本当のことを書いてくださいね・・・お願いします」

と、泣きながら記者の手を握るのです。

重たい地元紙の責務です。

全国紙が扱う事件・事故が大分で起こった場合、私もやはり地元紙を手に取るでしょう。

私が子供の頃、父親の転勤で大分を離れたのですが、大分合同新聞さんを定期購読し2-3日遅れで読んでいました。

海の向こうで暮らし始めた頃、日本から送られてくる荷物の中に母が読み終わった大分合同新聞を隙間に入れてくれていたり、割れ物などを包みシワシワになった新聞を隅から隅まで何度も繰り返し読み大切に保管していたことを懐かしく思い出しました。

インターネットがなかった時代の話です。

日本の田舎にいても世界の田舎の新聞を読むことできる環境に感謝。

世界の新聞ほどには、大分の新聞やメディアニュースを熱心に見聞きしていないことについては反省点として改善したいと思っています。

紙の新聞は、朝オンラインニュースをチェックしてから毎日一紙だけ買うことにしています。

大分ではフェイクや偏向・忖度報道がないことを願います。多様性と民主主義の町。

Oita has always been a city of opportunity.

***
余談なのですが、昔「マライア・キャリー」さんが関空から入国したことがあったんです。多分、初来日の時。同じ便に乗っていたのですが、彼女が乗っていることは知りませんでした。空港に到着して機から出てボーディングブリッジを渡った所に凄い数のメディアの方達が待機していたんです。私が現れた瞬間に一社がなぜかライトをつけてカメラを構えたんです。それにつられて一斉に全社がカメラを私に向けました。私はビックリして後ろ見たのですが、普通のアメリカ人しかおらず、彼らは彼らで「お前なにもん?」みたいな顔して私を見ていますし。未だになぜ私にカメラを向けたのかは謎なのですが、ワイドショーで同じようなシーンを見るたびに「一般ピープルには暴力だよな」と思ってしまいます。ま、そんなことは稀なんでしょうけど。

Monday, March 19, 2018

年寄りはしゃしゃり出るな

OBや人生の大先輩の苦言をうるさいと思ってはいけません。

それより、それを言わせてしまう状況を作った自分の行いを反省する方が建設的なのです。

図星、或いは耳の痛いことを言われたのか、焦りから余裕がなくなっているのか。

「年寄りは引っ込んどけ」「しゃしゃり出るな」という人間の器なんて、所詮その程度のものでしかないです。

有り難いお言葉と思って耳を傾け、良いことは積極的に取り入れ、違うなと思う部分は自分の方位磁針として危機管理に役立てれば良い。

そうでないと、自分もまた将来同じことを言われてしまうのです。


若い人びとが、その力と無知の優越性をもって私たちを笑いものにし、私たちのぎこちない歩き方や、白髪や、皺だらけの首を滑稽だと思うなら、私たちは昔、同じように力と無知をもって老人をせせら笑ったことがあったことを思い出そう。


「孤高のゴミ拾い」と「孤高の登拝」で私が学んだことです。

猛省と自戒。

Friday, March 16, 2018

「砂の器」と「人の器」と「大分の器」

定期的に「砂の器」を読んだり観たりします。

ハンセン病のことは、この作品で知り、高校生の時に図書館で調べたことを記憶しています。後のテレビ作品ではハンセン病に関する部分はなくなり、ストーリーも時代に合わせた内容に変化していきました。


先日、旧優生保護法(1948~96年)に基づいて知的障害などを理由に不妊手術が繰り返された問題がニュースになり、わが町大分県でも1954年~76年までの間で663人、不妊手術最年少は14歳ということが判明しました。わかっているだけでの数字です。全国で4番めの多さですが、担当者さんによると「当時の状況が不明で、大分県がなぜ多いのかは分からない」という説明でした。勿論、本人の同意などはなかったでしょう。

このニュースきっかけで、1年ぶりくらいに「砂の器」を開きました。

旧優生保護法が施行されたのと同じ時代の話です。

「遺伝するのではないか」

私も高校生の頃までは、そういう間違った認識(障害の遺伝)の持ち主でした。

昔の話だと思っていましたが、1996年まで旧優生保護法が生きていたことを知り驚いています。偏見・差別の他に、悪い人間により性的暴行を受けてしまうということもあったでしょう。現代でもニュースで見聞きすることです。


私は、文学を通じてハンセン病のことを知ってよかったと思っています。隠してしまうと本質がわからなくなってしまい、無知が偏見と差別に繋がってしまうことに。本質を隠しての偏見と差別教育はナンセンスです。

アメリカで暮らし始めて日本が「隠す社会」であるということに気付きました。彼らは病気などのハンディキャップを隠さずオープンにすることで社会の一員として機能していたのです。

「24時間テレビ」に慣れてしまっていた当時の私は、どこかでハンディキャップを背負っている人を気の毒だと思い、見えない壁を作っていたように思います。

ある時、大学の車椅子とブラインド(盲目)の学友に、そのことについて正直に話してみたところ、「僕たちは可哀想と思って欲しくないんだ。特別なことも望んでいない。健常者と同じように暮らしたいだけなんだ。」と優しく教えてくれました。人の意識も町のシステもそうなっていました。

困っている人を助けるのは、人として当然のこと。

ハンディキャップの人が困っているのなら手を貸してあげればよい。

重たい荷物を持って階段を上っているお年寄りや女性を見かけたら、荷物を持ってあげればよい。

どなた様に対しても同じようにシンプルに手を差し出せばよいのです。


どなた様に対しても差別はご法度です。

先日、東京都世田谷区でLGBTと外国人への差別を禁じる条例が成立しました

これはよくないです。

私は、LGBTの人達が多いシアトルの「キャピトル・ヒル」という町のど真ん中で暮らしていました。男性同士が手をつなぎ、路上でキスをしたりが当たり前の町です。30年くらい前の話です。

銀行口座を開設した時の担当テラーがゲイで、私の住所と電話番号を業務で知った彼は、しばらくして私の家に電話を掛けてきて一緒に食事をすることになりました。

大分の田舎者だった当時の私にはLGBTの知識は全くなく、「キャピトル・ヒル」がそういう町だということも知りませんでした。彼に交際を申し込まれたところで気付き、丁重にお断り。その後、彼が違う男性と手を繋いで歩いているところに出くわし、気まずい思いをしたことも今では良い思い出です。

そういう町で暮らしていても慣れるのには時間が掛かりました。

ましてや男女同権もうまくいかない日本で、LGBTについての理解を深めるには時間が掛かります。急激な変化は、逆にLGBTの人達にとってよくない結果を招いてしまうこともあります。

私の経験からの意見ですが。

宗教的、特に「継」「系」を重んじる神道の考えの中では理解してもらいにくいことなのかもしれません。

リベラルの町で暮らした私は、帰国してから古事記や神道に関する本を読み、机上だけでは芯の部分まで理解することはできないので、西寒多神社の奥宮に丑三つ時に登拝をし、奥宮の清掃を週一度繰り返し続けることで理解を深めることに努めました。

2000年近く前から奥宮に鎮座する岩座を崇め、現在まで守り続けている、継承しているということが、一体どういうことなのかと。まだ6年目になるところですが、何となく「継」「系」ということについては、ある程度理解できたと思っています。


「女が社会に出るようになって日本がダメになった」「終身雇用が崩れ派遣になってダメになった」というシニア男性の声を耳にすることも多く、また企業の社長さんから男女均等やLGBTの件について質問される機会も増えてきました。

「セミナーや本で頭では理解できているんだけど・・・」とおっしゃるのですが、LGBTやマリファナに寛容なリベラルの町で暮らし、それとは真逆のコンサバ(保守的)な登拝やゴミ拾いを繰り返す経験の積み重ねで私が考えることに加え、アメリカの現状や取り組についてお話すると、表っ面ではなく内面から考え理解してくれる姿勢に変わってきます。

価値観や生き方は人それぞれで、急激な変化は社会のためにはなりませんし、机上の知識だけで「理解しているつもり」と錯覚することが一番の敵になります。私もです。日々勉強です。

男女同権だと「レディース・デー」があってはいけないのです。「レディース・デー」を作るのなら「メンズ・デー」も作らなければ男女同権ではないのです。「レディース・デー」「メンズ・デー」を作れば「LGBTデー」も作らなければならなくなるのです。だから、アメリカは性別に分けて何かしらのサービスを提供することはありません。大分の町を歩いていると「レディース・デー」という文字をよく目にします。女性もそのことが問題だとは思っていないのではないでしょうか。レディファーストとは別の話です。

都会の電車のように「女性専用車両」があるのなら「男性専用車両」も必要なのです。当然「LGBT専用」も。

更に言うと、大分県立・市立美術館に展示されているアーティストの男女比率はどうなっていますか?そのレベルまで世界の話は進んでいます。(先日、大分県立・市立美術館に確認に行きました)

対立軸を作らず、コンサバな方達、宗教的に考え方の違う方達にどう理解して頂くか。壁を作る法律やプロテストなどで根幹の部分を変えようとしていはいけません。日本はそういう国ではありません。

アプローチに工夫する必要があると思います。

********************
追記:
  • 私はLGBTの町に長く住んでいましたが、私は女性好きです。
  • マリファナが合法の町ですが、私は吸ったことはありません。
  • 登拝をしていますが、特別な信仰心は持っていません。(良いことは積極的に取り入れる派です)
  • イデオロギーは、右でも左でもありません。

Wednesday, March 14, 2018

「3.14パイの日」にパイの取り合いについて考えたこと

安倍総理サイドに立ってマーケティングすると、安倍総理大好きジャーナリストや識者の擁護論は、結構邪魔ですね。

小泉進次郎さんや石破さんの発言に対して不快感を示す安倍総理擁護派の方もいらっしゃいますが、自民党さんの良さは「誰もが自由に発言でき、それに対して寛容である」ということではなかったでしょうか。

私のようなニュートラルな国民は、自民党さんのその部分については高く評価していますし、ガス抜きをすることでバランスをとることができているのだと思っています。その部分を失うと世論のコントロールが難しくなってくるのですが、幸い野党にマーケティング的発想が全くないので助かっているところです。

何が何でも安倍総理大好き: 20%
何が何でも安倍総理大嫌い: 20%
その他: 60%

その他60%のパイを取り合う時に大切なのは、露骨な安倍首相擁護論ではなく、内部からの俯瞰的な一言で「自民党はまだ機能している」とアピールすることなのです。それを否定してしまうと、60%の取り合いに負けてしまいます。

「擁護しているつもりが擁護になっていない」という話は、一般社会でも日常茶飯事でよくある話です。

上手にバランスをとってコントロールして下さい。


「お前に政治の何がわかる」と言われればその通りなのですが、不遜な態度で国民に接していると、それはいつかご自分達に返ってくるでしょう。

Monday, March 12, 2018

忖度 vs. 美徳

スキャンダルが報道された当初から、日本のファーストレディとして、「付き合ってはいけない、関わり合いになってはいけない」人が描くストーリーの主人公になってしまった(させられてしまった)という感想しかありませんでした。

どの世界にも、我々のような一般ピープルの周囲にも「付き合ってはいけない、関わり合いになってはいけない」という人はいるものです。特に立場のある方にとっては。

情報が錯綜し、真実はまだわからないのですが、「そもそも」はそういうことではないかと。


あと、危機管理の初動ミスが、この問題の傷口を広げていきました。
1件の悲劇がある。その背景には29件のトラブル、300件の「ヒヤリ」「ハッ」とする体験がある。
処方箋で治せるステージで潰しておかないとですね。危機管理は「イマジネーション」の世界です。

「Always 1 step behind」(自省と自戒)


大なり小なり忖度の話は私の周囲でもよく耳にしますし、自覚なく知らないところで忖度の恩恵を受けていることもあるでしょう。大分でもよく聞く話です。

一度忖度の恩恵を受けちゃうとね・・・

聖人君子ではない私は、必要悪という考え方も否定はできず。

「真面目な人間が馬鹿をみる」社会です。

「孤高のゴミ拾い」は、得ではなく徳の話なので忖度はないです。
美徳(excellence)は、訓練と習慣の賜物である。

我々は、あらかじめの美徳が具わっていたり、卓越した能力があるからこそ正しい行動ができるのではなく、正しい行動をするからこそ、美徳や卓越した能力が得られるのである。

我々が何であるかは、我々が繰り返し何を行ったかによって決まるのである。

それゆえ、美徳は行いではなく、習慣なのである。

~アリストテレス~
安倍総理や忖度関係の方達が、「孤高のゴミ拾い」のような忖度・パフォーマンスなしの美徳に積極的に取り組んで下さることを願います。

Saturday, March 10, 2018

つまらんイデオロギー

国会の停滞にうんざりし、情けなく思う毎日です。国会を愚弄しているのは、与党だけではなく全ての国会議員とお役人です。

昨年の森友問題の時は、安倍総理が吊るし上げられるのを楽しみしていたシニア層がおられました。「今日は早く帰らんと。国会があるけんな。」とゴミ拾い道中でおっしゃっていた方々が、今回の問題については皆さん飽きてしまったのか、前回ほど興味を持たれていないように見受けられます。「立憲民主党に期待するしかない」とおっしゃっていた方も「いつまでしよんのか。やっぱりダメやな。」とそっぽを向いてしまわれました。彼らが立憲民主に期待したのは、そういうことではないのですよ。

安倍総理は、そもそもゴミ拾い道中にお会いするシニア層には人気がありませんでした。大分全体でそういう空気があったのかもしれません。「戦争を知らん人間の考え方じゃ」という安倍総理批判を30分立ち話で拝聴したこともあります。人生の大先輩からすると、安倍総理がちょっと生意気に見えていたのかもしれません。かつて「明治維新を知らん人間の考え方じゃ」という時代もあったでしょう。

多くの方から「メディアは圧力を受けて安倍総理の悪事を書かない」という不満をよくお聞きした昨年の森友問題の頃。そして自民が圧勝した時に「日本人は馬鹿だ。大分の連中は馬鹿だ。」とも。イデオロギーは人それぞれですので、私は黙してご意見を拝聴しております。「なるほど」ということも多く、様々な考えを聞くのは勉強になります。

ただ、皆さんのご意見を分析してみると、「情報ソースが同じだな」という結果にたどり着くのです。情報の選択肢がない世代。それは、先の沖縄の名護市長選の時にも言われたことです。ネットで情報を得る世代とそうでない世代の情報へのアクセス・ギャップが存在します。

「貴方はどう思う?」「アメリカではどう?」「アメリカではどう報道している?」と聞かれることも多く、その時は、私見を述べたりアメリカの話をさせて頂きます。「なるほど」「そういうことやったんか」と若手より柔軟に理解されます。
私はリベラルの町シアトルに、更にLGBTが特に多い「Capitol Hill」というゴリゴリのリベラル・コミュニティのど真ん中に長く住んでいました。ちなみに、私はLGBTではありません。

シアトルがリベラルの基準としたら、日本にリベラルは存在しません(あるいは極少)。リベラルはカラッとしていなければならない(持論)のですが、日本風のリベラルはジメッとした湿り気が多いです。

当然、ワシントン州全体もリベラルが多いのですが、最近のリサーチにによると保守が増加しているのだとか。本音を隠して建前を使っていた人も多かったのではと思っています。

先日、タコマ市の大学で白人至上主義のプロパガンダ印刷物が貼られたとニュースになっていました。(大学は即撤去)
そして、現在暮らしている大分は、いわゆる日本風リベラルの土地柄なのですが、先の国選では小選挙区で自民がスィープし町中の隠れ保守に元気が出てきました。大分でも本音を隠して建前を使っていた人も多かったのでしょうか。しかしながら大分のシニアの方達のお話を聞いていると、「現役の時は仕事の関係で自民に入れていたが・・・」という意見も多かったりするので、必ずしもというところでしょう。

世界中が右傾化し保守もリベラルも過激になりつつあります。匿名性のあるネット社会では、歯止めが効きません。日本でも大分でも。

こんな社会で生きていくのは苦痛です。


私は右でも左でもない一般ピープルのゴミ拾い人です。

愛国を気取る人達が、またはリベラルを気取る人達が町のゴミを拾ってくれるわけではないのですが、ポイ捨てゴミは全ての人に共通の問題であり、私が積極的に取り組んでいる理由の一つです。

「デモする暇があったら、ネットで口汚くつまらん言い合いする暇があったら町のゴミでも拾いなよ。その方が国(町)のためになるんだから。話はそれからだ。」とは思っています。町のゴミ一つ拾えない人間に何ができますか。

丑三つ時、神社の奥宮に登拝して清掃をしたりするものですからゴリゴリの保守と思われがちなのですが、長く外国のリベラルの町に住んでいたので、古き良き日本的なことを行うことでバランスをとっています。それは、日々のゴミ拾いにも通ずることで、積極的に取り組んでいる理由の一つです。

海外暮らし経験がある人の「あるある」で、海の向こうの世界から日本を眺めることで気付くことも多かったです。勿論、良いことばかりではなく、日本という国、大分という町に疑問を持つ部分もありました。

  • 良いもの良い、悪いものは悪い。
  • 口汚い人、見てみぬふりをする人には、国や町をキレイにすることはできない。
  • 「目的のためには手段を問わず」の人はリスペクトできない。

「一つゴミを拾い一つ反省、一つゴミを拾い一つ感謝」を25,000 km(間もなく)繰り返してきた経験からです。口に出せばごくごく当たり前のことなのですが、「当たり前」が一番難しいです。いくつになっても難しいです。猛省と自戒。

財布の厚み、立派な学歴や肩書とは関係のない世界の話であることは、日々のニュースを見ても明らかなこと。

明日もまたゴミを拾いながら考えたいと思います。

世の中の混迷困窮が続くと、人の攻撃の矛先は外へ向かわず、内に向いがちだ。 
異物を排除しようと法律や規則が強化されつつある。 
気が付くと我々は、法律や規則に強く依存しており、自分で何も決めず考えなくなっている。 
杓子定規な言い分や愚にもつかない大義名分に縛られ、身動きがとれなくなっている。 
我々の先人は、問題解決の時、知恵を使ってきた。 
それが難問であればあるほど、予めの決まり事や約束事に捕われず、発想豊かに知恵を使ってきたのだ。 
嘘や理屈に合わぬ事、時には非合法な事も必要だ。 
この世界を本当に動かしているのは、法律でも規則でも無い、そんな人間の優れた叡智なのだ。 
人は善く生きれば良い、善く生きる事がすべてだ。 
~京の散歩道より~

Wednesday, March 7, 2018

人口1人の町


Monowi, Nebraskaという町の人口が1人で、84歳のお婆ちゃんがバーテンダー兼町長として頑張っているという記事を読みました。この町には47州、40ヶ国から観光客が訪れているのだというのです。

彼女の店(Elsie's Tavern)では、バーガーが「$3.50」、ホットドッグ「 $1.25」、そして キンキンに冷えたビールがウリらしいです。

活性化・地方創生の原点がここにありますね。

Monowi, Nebraskaでお婆ちゃんと会話しながらキンキンに冷えたビールを飲みたいです。

Tuesday, March 6, 2018

大分のセクシーを探して

自宅前の信号機が、夜の間にLEDに変わりました。(大分市郊外南)

数年前に大道トンネルの照明もLEDに変わり、ポイ捨てゴミがハッキリクッキリ見えるようになりました。

ロサンゼルスの夜景が好きで滞在するたびにグリフィス天文台に出かけます。
ロサンゼルスの夕方の混雑は最悪ですが、夜の町ドライブは、全米No.1ではないでしょうか。

そんなロサンゼルスの夜景・夜の町もLEDによりセクシー感のないものになってきましたが、それはそれでまた新たなセクシーを感じたいと思っています。
2014年にロサンゼルス市が、街灯140,000個をLEDに交換するというリリースを出した時に調べてみました。

・街灯用LED電球1個: $388.58
・ロサンゼルスの街灯電球数: 140,000個(≒$54.4M)
・1個あたりの取り替え時間: 20分
・1個あたりの労働力コスト: $5
・1個あたりの消費カロリー: 1cal

ロサンゼルスのエコ効果
・エネルギー削減率: 60%
・CO2削減: 50,000メトリックトン(車10,000台分)
同じ場所のビフォー/アフター写真を比較すると、確かにLEDは明るく治安効果はありますが、一方セクシー感はなくなりました。セクシー感というのは個人の感覚なので人それぞれです。デジタル音声とレコード音声の違いみたいなものでしょうか。

セクシーな大分を探してみたいと思います。

万年筆のノート術

知人がプレゼントしてくれた原稿用紙。 かなり前に製造中止になったKOKUYOさんの万年筆専用ノート(手帳サイズ/ノ-CH2U)のストックが、あと1冊になってしまいました。 KOKUYOさんの 書翰箋(ヒ-211)は、万年筆用のメモ帳としては、自分の中では最高クラ...