Friday, March 16, 2018

「砂の器」と「人の器」と「大分の器」

定期的に「砂の器」を読んだり観たりします。

ハンセン病のことは、この作品で知り、高校生の時に図書館で調べたことを記憶しています。後のテレビ作品ではハンセン病に関する部分はなくなり、ストーリーも時代に合わせた内容に変化していきました。


先日、旧優生保護法(1948~96年)に基づいて知的障害などを理由に不妊手術が繰り返された問題がニュースになり、わが町大分県でも1954年~76年までの間で663人、不妊手術最年少は14歳ということが判明しました。わかっているだけでの数字です。全国で4番めの多さですが、担当者さんによると「当時の状況が不明で、大分県がなぜ多いのかは分からない」という説明でした。勿論、本人の同意などはなかったでしょう。

このニュースきっかけで、1年ぶりくらいに「砂の器」を開きました。

旧優生保護法が施行されたのと同じ時代の話です。

「遺伝するのではないか」

私も高校生の頃までは、そういう間違った認識(障害の遺伝)の持ち主でした。

昔の話だと思っていましたが、1996年まで旧優生保護法が生きていたことを知り驚いています。偏見・差別の他に、悪い人間により性的暴行を受けてしまうということもあったでしょう。現代でもニュースで見聞きすることです。


私は、文学を通じてハンセン病のことを知ってよかったと思っています。隠してしまうと本質がわからなくなってしまい、無知が偏見と差別に繋がってしまうことに。本質を隠しての偏見と差別教育はナンセンスです。

アメリカで暮らし始めて日本が「隠す社会」であるということに気付きました。彼らは病気などのハンディキャップを隠さずオープンにすることで社会の一員として機能していたのです。

「24時間テレビ」に慣れてしまっていた当時の私は、どこかでハンディキャップを背負っている人を気の毒だと思い、見えない壁を作っていたように思います。

ある時、大学の車椅子とブラインド(盲目)の学友に、そのことについて正直に話してみたところ、「僕たちは可哀想と思って欲しくないんだ。特別なことも望んでいない。健常者と同じように暮らしたいだけなんだ。」と優しく教えてくれました。人の意識も町のシステもそうなっていました。

困っている人を助けるのは、人として当然のこと。

ハンディキャップの人が困っているのなら手を貸してあげればよい。

重たい荷物を持って階段を上っているお年寄りや女性を見かけたら、荷物を持ってあげればよい。

どなた様に対しても同じようにシンプルに手を差し出せばよいのです。


どなた様に対しても差別はご法度です。

先日、東京都世田谷区でLGBTと外国人への差別を禁じる条例が成立しました

これはよくないです。

私は、LGBTの人達が多いシアトルの「キャピトル・ヒル」という町のど真ん中で暮らしていました。男性同士が手をつなぎ、路上でキスをしたりが当たり前の町です。30年くらい前の話です。

銀行口座を開設した時の担当テラーがゲイで、私の住所と電話番号を業務で知った彼は、しばらくして私の家に電話を掛けてきて一緒に食事をすることになりました。

大分の田舎者だった当時の私にはLGBTの知識は全くなく、「キャピトル・ヒル」がそういう町だということも知りませんでした。彼に交際を申し込まれたところで気付き、丁重にお断り。その後、彼が違う男性と手を繋いで歩いているところに出くわし、気まずい思いをしたことも今では良い思い出です。

そういう町で暮らしていても慣れるのには時間が掛かりました。

ましてや男女同権もうまくいかない日本で、LGBTについての理解を深めるには時間が掛かります。急激な変化は、逆にLGBTの人達にとってよくない結果を招いてしまうこともあります。

私の経験からの意見ですが。

宗教的、特に「継」「系」を重んじる神道の考えの中では理解してもらいにくいことなのかもしれません。

リベラルの町で暮らした私は、帰国してから古事記や神道に関する本を読み、机上だけでは芯の部分まで理解することはできないので、西寒多神社の奥宮に丑三つ時に登拝をし、奥宮の清掃を週一度繰り返し続けることで理解を深めることに努めました。

2000年近く前から奥宮に鎮座する岩座を崇め、現在まで守り続けている、継承しているということが、一体どういうことなのかと。まだ6年目になるところですが、何となく「継」「系」ということについては、ある程度理解できたと思っています。


「女が社会に出るようになって日本がダメになった」「終身雇用が崩れ派遣になってダメになった」というシニア男性の声を耳にすることも多く、また企業の社長さんから男女均等やLGBTの件について質問される機会も増えてきました。

「セミナーや本で頭では理解できているんだけど・・・」とおっしゃるのですが、LGBTやマリファナに寛容なリベラルの町で暮らし、それとは真逆のコンサバ(保守的)な登拝やゴミ拾いを繰り返す経験の積み重ねで私が考えることに加え、アメリカの現状や取り組についてお話すると、表っ面ではなく内面から考え理解してくれる姿勢に変わってきます。

価値観や生き方は人それぞれで、急激な変化は社会のためにはなりませんし、机上の知識だけで「理解しているつもり」と錯覚することが一番の敵になります。私もです。日々勉強です。

男女同権だと「レディース・デー」があってはいけないのです。「レディース・デー」を作るのなら「メンズ・デー」も作らなければ男女同権ではないのです。「レディース・デー」「メンズ・デー」を作れば「LGBTデー」も作らなければならなくなるのです。だから、アメリカは性別に分けて何かしらのサービスを提供することはありません。大分の町を歩いていると「レディース・デー」という文字をよく目にします。女性もそのことが問題だとは思っていないのではないでしょうか。レディファーストとは別の話です。

都会の電車のように「女性専用車両」があるのなら「男性専用車両」も必要なのです。当然「LGBT専用」も。

更に言うと、大分県立・市立美術館に展示されているアーティストの男女比率はどうなっていますか?そのレベルまで世界の話は進んでいます。(先日、大分県立・市立美術館に確認に行きました)

対立軸を作らず、コンサバな方達、宗教的に考え方の違う方達にどう理解して頂くか。壁を作る法律やプロテストなどで根幹の部分を変えようとしていはいけません。日本はそういう国ではありません。

アプローチに工夫する必要があると思います。

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追記:
  • 私はLGBTの町に長く住んでいましたが、私は女性好きです。
  • マリファナが合法の町ですが、私は吸ったことはありません。
  • 登拝をしていますが、特別な信仰心は持っていません。(良いことは積極的に取り入れる派です)
  • イデオロギーは、右でも左でもありません。

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