Saturday, March 10, 2018

つまらんイデオロギー

国会の停滞にうんざりし、情けなく思う毎日です。国会を愚弄しているのは、与党だけではなく全ての国会議員とお役人です。

昨年の森友問題の時は、安倍総理が吊るし上げられるのを楽しみしていたシニア層がおられました。「今日は早く帰らんと。国会があるけんな。」とゴミ拾い道中でおっしゃっていた方々が、今回の問題については皆さん飽きてしまったのか、前回ほど興味を持たれていないように見受けられます。「立憲民主党に期待するしかない」とおっしゃっていた方も「いつまでしよんのか。やっぱりダメやな。」とそっぽを向いてしまわれました。彼らが立憲民主に期待したのは、そういうことではないのですよ。

安倍総理は、そもそもゴミ拾い道中にお会いするシニア層には人気がありませんでした。大分全体でそういう空気があったのかもしれません。「戦争を知らん人間の考え方じゃ」という安倍総理批判を30分立ち話で拝聴したこともあります。人生の大先輩からすると、安倍総理がちょっと生意気に見えていたのかもしれません。かつて「明治維新を知らん人間の考え方じゃ」という時代もあったでしょう。

多くの方から「メディアは圧力を受けて安倍総理の悪事を書かない」という不満をよくお聞きした昨年の森友問題の頃。そして自民が圧勝した時に「日本人は馬鹿だ。大分の連中は馬鹿だ。」とも。イデオロギーは人それぞれですので、私は黙してご意見を拝聴しております。「なるほど」ということも多く、様々な考えを聞くのは勉強になります。

ただ、皆さんのご意見を分析してみると、「情報ソースが同じだな」という結果にたどり着くのです。情報の選択肢がない世代。それは、先の沖縄の名護市長選の時にも言われたことです。ネットで情報を得る世代とそうでない世代の情報へのアクセス・ギャップが存在します。

「貴方はどう思う?」「アメリカではどう?」「アメリカではどう報道している?」と聞かれることも多く、その時は、私見を述べたりアメリカの話をさせて頂きます。「なるほど」「そういうことやったんか」と若手より柔軟に理解されます。
私はリベラルの町シアトルに、更にLGBTが特に多い「Capitol Hill」というゴリゴリのリベラル・コミュニティのど真ん中に長く住んでいました。ちなみに、私はLGBTではありません。

シアトルがリベラルの基準としたら、日本にリベラルは存在しません(あるいは極少)。リベラルはカラッとしていなければならない(持論)のですが、日本風のリベラルはジメッとした湿り気が多いです。

当然、ワシントン州全体もリベラルが多いのですが、最近のリサーチにによると保守が増加しているのだとか。本音を隠して建前を使っていた人も多かったのではと思っています。

先日、タコマ市の大学で白人至上主義のプロパガンダ印刷物が貼られたとニュースになっていました。(大学は即撤去)
そして、現在暮らしている大分は、いわゆる日本風リベラルの土地柄なのですが、先の国選では小選挙区で自民がスィープし町中の隠れ保守に元気が出てきました。大分でも本音を隠して建前を使っていた人も多かったのでしょうか。しかしながら大分のシニアの方達のお話を聞いていると、「現役の時は仕事の関係で自民に入れていたが・・・」という意見も多かったりするので、必ずしもというところでしょう。

世界中が右傾化し保守もリベラルも過激になりつつあります。匿名性のあるネット社会では、歯止めが効きません。日本でも大分でも。

こんな社会で生きていくのは苦痛です。


私は右でも左でもない一般ピープルのゴミ拾い人です。

愛国を気取る人達が、またはリベラルを気取る人達が町のゴミを拾ってくれるわけではないのですが、ポイ捨てゴミは全ての人に共通の問題であり、私が積極的に取り組んでいる理由の一つです。

「デモする暇があったら、ネットで口汚くつまらん言い合いする暇があったら町のゴミでも拾いなよ。その方が国(町)のためになるんだから。話はそれからだ。」とは思っています。町のゴミ一つ拾えない人間に何ができますか。

丑三つ時、神社の奥宮に登拝して清掃をしたりするものですからゴリゴリの保守と思われがちなのですが、長く外国のリベラルの町に住んでいたので、古き良き日本的なことを行うことでバランスをとっています。それは、日々のゴミ拾いにも通ずることで、積極的に取り組んでいる理由の一つです。

海外暮らし経験がある人の「あるある」で、海の向こうの世界から日本を眺めることで気付くことも多かったです。勿論、良いことばかりではなく、日本という国、大分という町に疑問を持つ部分もありました。

  • 良いもの良い、悪いものは悪い。
  • 口汚い人、見てみぬふりをする人には、国や町をキレイにすることはできない。
  • 「目的のためには手段を問わず」の人はリスペクトできない。

「一つゴミを拾い一つ反省、一つゴミを拾い一つ感謝」を25,000 km(間もなく)繰り返してきた経験からです。口に出せばごくごく当たり前のことなのですが、「当たり前」が一番難しいです。いくつになっても難しいです。猛省と自戒。

財布の厚み、立派な学歴や肩書とは関係のない世界の話であることは、日々のニュースを見ても明らかなこと。

明日もまたゴミを拾いながら考えたいと思います。

世の中の混迷困窮が続くと、人の攻撃の矛先は外へ向かわず、内に向いがちだ。 
異物を排除しようと法律や規則が強化されつつある。 
気が付くと我々は、法律や規則に強く依存しており、自分で何も決めず考えなくなっている。 
杓子定規な言い分や愚にもつかない大義名分に縛られ、身動きがとれなくなっている。 
我々の先人は、問題解決の時、知恵を使ってきた。 
それが難問であればあるほど、予めの決まり事や約束事に捕われず、発想豊かに知恵を使ってきたのだ。 
嘘や理屈に合わぬ事、時には非合法な事も必要だ。 
この世界を本当に動かしているのは、法律でも規則でも無い、そんな人間の優れた叡智なのだ。 
人は善く生きれば良い、善く生きる事がすべてだ。 
~京の散歩道より~

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