毎日拾い終えた土手を見て「キレイになったな」と。しかし、翌日にはまた元通りに。そんな25,117 kmです。皆さんお気づきですか?
決して多くはないですが、毎日拾っている方達がおられます。ごく一部の人に負担を強いた社会で表っ面だけ繕ってもと思うのですが、そう思われない方がマジョリティのようで。
『お嫁に行く心配がないから死者は実名報道』
「ニュース三面鏡」を書いた記者を出せ、と言ったら、その記者は席を外している、用件があればわたしがきく、ということで、わたしはその記者に「数々の疑問」をぶちまけたのである。
電話口の社会部記者は「朝日の報道にあやまりはない」の一点ばり。サンゴ礁のねつ造記事があり、最近の朝日は誤報の訂正謝罪にいとまのないありさま。訂正謝罪の常設コラムを設定したら・・・と提案したくなるほどだが。一読者に対してはゴーマン無礼だということもまた、定評のあるところである。
「なぜ加害者は匿名で、被害者を写真入りで実名報道するのか。実名報道で、被害者の人格まであげつらうのは許せない」
「性犯暴力で生存している場合は匿名、死んだ場合は実名報道というのが朝日の基準になっている」
「その理由は?」
「死者を匿名にしても利益がないからだ」
「もうお嫁にいく心配がないということか」
「ま、そういうことだ」
「朝日では婦女暴行はむごい犯罪ではないということになっているのか。この事件はそもそも強姦から始まって、結果として殺してしまった事件ではないか。強姦されたことによって人生を狂わせた女はいっぱいいる。強姦は女にとって死にひとしいむごい犯罪だと女は思っている」ガンガンまくしたてると、記者はトーンを落として「そういえば、婦女暴行もやはり、むごいですよね」とのたまった。死んでしまったら、匿名にしても利益がない、という感覚には、心底おどろいた。死者にも名誉もあれば、人権もある。遺族は生きているのである。遺族の心情を考えれば、死者をペンの力でふみにじることは許されない。この本では、朝日新聞さん一社を攻撃しているわけではなく、メディア全体に対して疑問を呈しています。1990年の本なので、現在の朝日新聞さんの実名報道基準は変わっているのかもしれませんし、変わっていないのかもしれません。著者は、門野晴子、中山千夏・丸山友岐子・日方ヒロコさん。女性の人権や性的暴行事件について女性目線で書かれています。
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初報時に、日刊新聞であからさま非行少女キャンペーンを張ったのは、わたしの知る限り朝日新聞だけである。
『マスコミ・ナチズム』
一つ目の記事が二つ目の記事を補い、二つ目の記事が三つ目の記事を補い、三つ目の・・・記事は互いの相乗効果が重なって、なお残酷な暴力をふるい続ける。
そして不気味に一致していることはまだある。表面的には売らんかな主義だが、その根底には世の体制に合わない者は排除せよ、排除されても仕方がないというマスコミの正義の味方を装った犯罪性と傲慢性だ。さらにマスコミを構成するひとりひとりの退廃した貧困で無恥な意識である。
世の中から、自分たち、もっというならば自分たちの代表されるような選良な人々以外の追放し、抹殺するマスコミはナチスを思い起こさせる。昨今のフェイクニュース・偏向報道にナチズム的要素はないでしょうか。私はこの記述を読み、森友問題報道が頭に浮かびました。
『ニュースの天才』(ニュースのてんさい、原題: Shattered Glass)は、2003年のアメリカ映画。ビリー・レイ監督、ヘイデン・クリステンセン主演作品。1998年に起きたアメリカの権威ある政治雑誌『ニュー・リパブリック』の記者スティーブン・グラスによる記事の捏造事件を描く。(wikipedia)事件後、更新せずに解約しました。映画は見ました。 歴史学者先生の「神の手」みたいな話ですが、
知人がプレゼントしてくれた原稿用紙。 かなり前に製造中止になったKOKUYOさんの万年筆専用ノート(手帳サイズ/ノ-CH2U)のストックが、あと1冊になってしまいました。 KOKUYOさんの 書翰箋(ヒ-211)は、万年筆用のメモ帳としては、自分の中では最高クラ...