応永15年(1408)
本宮山から現在地に御遷座
永禄年間?(1500年代)
本社再興(西寒多神社略記)
天正14年(1586)
社殿が島津軍の侵攻で破壊される(西寒多神社略記)
天正16年(1588)
社殿が大友義統によって再興される(西寒多神社略記)
文禄2年(1593)
神領を太閤検地によって没収される(西寒多神社略記)
慶長14年(1609)
寒田一宮、再興(旧宮大工家・建築記録)
天和4年春(1648)
神殿が再建される(棟札)(西寒多神社略記)
享保3年3月(1718)
神主の佐藤和泉守家長が西寒多神社略記を記す
享保6年9月(1721)
神殿が再建される(棟札)(西寒多神社略記)
享保6年冬(1721)
「鎮国一宮」の扁額を掲げる(扁額)
享保13年2月22日(1728)
延岡藩牧野越中守の名代で吉田仙右衛門が参詣、初穂鳥目五十疋
享保18年2月11日(1733)
延岡藩村田次右衛門が代参、白銀二枚・玄米二俵(西寒多神社略記)
延享3年3月(1746)
神殿が改築される(棟札)(西寒多神社略記)
宝暦8年(1758)
寒田一宮、屋根カネ葺きとなる(歴・旧宮大工・建築記録)
宝歴10年1月(1760)
神殿が改築される(棟札)(西寒多神社略記)
明和4年(1767)
天神社に寒田村の佐藤喜三衛門ほか二名が石灯篭一基を奉納
寛政2年(1790)
本宮社に安田村・高取村氏子が石灯篭一対を奉納
文化4年(1807)
寒田一宮の鳥居立つ(歴・旧宮大工・建築記録)
文化10年3月(1813)
延岡藩の待つ財規忠治保孝が石灯篭一基を寄進
文化15年1月(1818)
本宮社に右鳥居一基が奉納される
文政13年9月(1830)
佐藤清右衛門が石灯篭一基寄進
天保2年(1831)
神衣替祭斎行(天保3年とも)
天保11年冬(1840)
伊予国立石飛天神宮神主を祭主に招き一万度祓祭斉行、碑建立
弘化4年4月(1847)
神楽殿が再興される(棟札)
嘉永7年2月(1854)
本宮社氏子が石灯篭一対を奉納
文久2年春(1862)
万年橋が架設される(棟札)
文久3年(1863)
石鳥居一基が奉納された(現在は合併社前)
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万年筆のノート術
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