武内社を操生社に改称が許される
明治11年3月26日(1878)
神輿購入のため野尻官吾氏は佐藤綾太郎氏同伴上阪
明治11年4月15日(1878)
大雨
明治11年4月18日(1878)
17日に到着した神輿の上棟祭執行
明治11年5月9日(1878)
神庫を建築、上棟祭(17年9月祭器庫に変更願出る)
明治11年6月22日(1878)
24日まで3日間雨乞い(村中)
明治11年8月19日(1878)
神小屋を取り畳み、跡地に神饌殿の移設許可となる
明治11年10月21日(1878)
本宮社が摂社に定められる
明治12年8月(1879)
官林立木の払い下げの許可(14年5月伐木持ち出し許可)
明治12年9月3日(1879)
三日間祈雨祭(当村産子願出)
明治12年10月23日(1879)
24日までコレラ鎮過賽謝臨時祭
明治12年11月5日(1879)
八幡田神幸所に石灯篭落成
明治13年2月2日(1880)
午前11時2分地震
明治13年3月18日(1880)
27日まで悪病退除祭
明治13年4月15日(1880)
八幡田神幸所の神殿・石檀などを釘宮清潔衛が寄進
明治13年4月24日(1880)
23日に到着した神輿の上棟祭執行
明治13年5月3日(1880)
神輿調達につき御酒披露(旦ノ原甲斐綱太郎・祝園一門他)
明治13年7月11日(1880)
寒暖計が華氏95度
明治14年6月20日(1881)
正午寒暖計、85度を示す
明治14年9月26日(1881)
午後2時より風立、11時最もはげし
明治15年1月(1882)
神官の教導職業務が廃止される
明治15年1月30日(1882)
野尻官吾より買い入れた鳥居用材(杉2本)を伐木
明治15年8月21日(1882)
大風雨で八幡田神幸所の神殿転覆・流出
明治15年9月19日(1882)
新築神殿へ御遷座式執行
明治17年2月(1884)
境内末社7社・村内5社を境内合併社に合祀、18年1月に県に届出
明治17年5月(1884)
西寒多神社協会惟神講社に改める
明治17年8月30日(1884)
県が寄付建物(拝殿・神饌所・神庫)を引き取り。残工事は県施工
明治17年9月4日(1884)
暴風のため御仮殿の屋根が破損、午後11時神饌所へ御遷座
明治18年2月26日(1885)
本殿以下竣工、遷宮式執行 3月3日まで臨時祭
明治18年6月17日(1885)
烈風大雨、大洪水
明治18年8月(1885)
惟神講社を一宮講社に改める
明治18年9月5日(1885)
午後風烈、6日も風雨はげし
明治18年10月15日(1885)
社務所が竣工
明治19年6月(1886)
官費で中門、神庫、透塀、内構玉垣を改造
明治19年8月(1886)
2日、9日、20日 祈雨祭
明治19年12月21日(1886)
佐藤綾太郎・佐藤来造両名が宅地と田1反7畝12歩を寄付
明治21年1月14日(1888)
有栖川宮殿下が御来県、毛利宮司が大分町の宿舎で拝謁
明治22年2月11日(1889)
憲法発布・皇室典範御治定奉告祭
明治22年7月23日(1889)
大雨、3日間日乞祭執行
明治23年3月4日(1890)
神庫屋根修繕落成
明治23年7月23日(1890)
3日間日雨乞い祈祷
明治23年10月15日(1890)
西寒多神社維持会の設立認可
明治25年4月17日(1892)
郷ノ城御旅所への御神幸に変更(19日まで)
明治25年8月(1892)
23日、24日、25日、26日、28日 祈雨祭
明治25年10月19日(1892)
御仮殿屋根葺き替え竣功(請負人・旦ノ原 兼吉)
明治26年1月11日(1893)
八幡田河原御仮殿を郷ノ城河原へ移す
明治26年7月(1893)
9日、10日、12日、13日、14日、18日、19日、26日、27日、28日,
29日、31日 祈雨祭
明治27年3月8日(1894)
大雨
明治27年7月28日(1894)
武運長久祈願臨時祭(30日まで) (日清戦争)
明治27年9月24日(1894)
官軍大勝利奉告祭
明治27年10月11日(1894)
敵国降伏祈願祭
明治28年2月19日(1895)
東稙田村戦勝祝宴会
明治28年5月22日(1995)
日清戦争講和成立祭典(旦ノ原・鴛野・上寒田。田尻4村代表)
明治28年7月24日(1895)
大雨且つ雷鳴、郷ノ城御仮殿転倒
明治29年4月28日(1896)
郷ノ城の仮殿新築上棟(5月2日祓式執行)
明治29年6月2日(1896)
県庁からの日清戦争戦利品を受領
明治26年6月28日(1896)
地方軍人歓迎会の宴
明治30年3月29日(1897)
神衣替祭斎行(4月7日まで7日間)(再興)
明治34年1月7日(1901)
神殿屋根葺き替え
明治35年7月27日(1902)
御仮殿の屋根全部葺き替え竣功
明治35年9月28日(1902)
大風雨で崖崩壊・倒木
明治35年10月6日(1902)
拝殿屋根葺き替え
明治36年8月(1903)
14日、27日、28日 祈雨祭
明治36年9月(1903)
2日、3日、6日 祈雨祭
明治36年10月25日(1903)
境内で寒田・田尻・両学校の運動会が開かれた
明治36年12月14日(1903)
社務所並びに里楽殿屋根漆喰竣功
明治37年2月24日(1904)
宣戦布告祭、勅使大久保知事が松苗植栽(日露戦争)
明治37年8月(1904)
4日、5日、6日、11日、12日、13日、14日 祈雨祭
明治37年10月14日(1904)
社前で寒田・田尻両小学校の運動会が開かれた
明治38年2月24日(1905)
皇軍全勝祈願祭および勅語奉読式
明治38年10月20日(1905)
戦捷奉祝祭(22日まで)
明治38年12月15日(1905)
平和克服奉祝祭、勅使(小倉知事)参向、参拝者多数
明治39年2月11日(1906)
日露戦役戦没者招魂祭(村内出身者5名)
明治39年12月(1906)
社務所を改築(矢野兵太郎)
明治39年12月(1906)
日露宣戦奉告記念碑建立
明治40年2月10日(1907)
降雪夜に激しく竹林に被害受ける。近来にない積雪
明治40年8月3日(1907)
県庁から日露戦争戦利品が下付される
明治40年10月16日(1907)
下寒田に鳥居(木造)建設、上棟祭執行
明治40年11月29日(1907)
透塀修繕・鳥居・仮殿屋根葺き替え工事竣功(三宮繁造)
明治41年8月10日(1908)
9日午後8時より大雨で出水、神庫並に神楽殿屋根破損
明治42年6月3日(1909)
日露戦争記念碑式と招魂祭
明治42年8月21日(1909)
鬼の歯形石そばの松樹折倒(長17.5間、廻り1丈)
明治43年11月12日(1910)
透塀・仮殿修繕(9月18日発注・三宮繁造)
明治44年4月18日(1911)
戦利品陳列舎落成
明治44年8月15日(1911)
暴風雨 下寒田の鳥居倒壊 9月9日復旧工事着手
明治45年3月(1912)
下半田の無格社「神降社」を本宮社に合併が認められる。
神衣替祭斎行(4月7日まで7日間)(再興)
明治34年1月7日(1901)
神殿屋根葺き替え
明治35年7月27日(1902)
御仮殿の屋根全部葺き替え竣功
明治35年9月28日(1902)
大風雨で崖崩壊・倒木
明治35年10月6日(1902)
拝殿屋根葺き替え
明治36年8月(1903)
14日、27日、28日 祈雨祭
明治36年9月(1903)
2日、3日、6日 祈雨祭
明治36年10月25日(1903)
境内で寒田・田尻・両学校の運動会が開かれた
明治36年12月14日(1903)
社務所並びに里楽殿屋根漆喰竣功
明治37年2月24日(1904)
宣戦布告祭、勅使大久保知事が松苗植栽(日露戦争)
明治37年8月(1904)
4日、5日、6日、11日、12日、13日、14日 祈雨祭
明治37年10月14日(1904)
社前で寒田・田尻両小学校の運動会が開かれた
明治38年2月24日(1905)
皇軍全勝祈願祭および勅語奉読式
明治38年10月20日(1905)
戦捷奉祝祭(22日まで)
明治38年12月15日(1905)
平和克服奉祝祭、勅使(小倉知事)参向、参拝者多数
明治39年2月11日(1906)
日露戦役戦没者招魂祭(村内出身者5名)
明治39年12月(1906)
社務所を改築(矢野兵太郎)
明治39年12月(1906)
日露宣戦奉告記念碑建立
明治40年2月10日(1907)
降雪夜に激しく竹林に被害受ける。近来にない積雪
明治40年8月3日(1907)
県庁から日露戦争戦利品が下付される
明治40年10月16日(1907)
下寒田に鳥居(木造)建設、上棟祭執行
明治40年11月29日(1907)
透塀修繕・鳥居・仮殿屋根葺き替え工事竣功(三宮繁造)
明治41年8月10日(1908)
9日午後8時より大雨で出水、神庫並に神楽殿屋根破損
明治42年6月3日(1909)
日露戦争記念碑式と招魂祭
明治42年8月21日(1909)
鬼の歯形石そばの松樹折倒(長17.5間、廻り1丈)
明治43年11月12日(1910)
透塀・仮殿修繕(9月18日発注・三宮繁造)
明治44年4月18日(1911)
戦利品陳列舎落成
明治44年8月15日(1911)
暴風雨 下寒田の鳥居倒壊 9月9日復旧工事着手
明治45年3月(1912)
下半田の無格社「神降社」を本宮社に合併が認められる。
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