西寒多神社は、長い歴史に比較して大きな自然災害に見舞われることは少なかった。山の斜面という地形が幸いしたようだ。
明治15年(1882)8月21日、八幡田神幸所が強風のため倒壊、さらに七瀬川の洪水で消失した。同17年9月4日、本殿修築のため御遷座していた仮殿の屋根が暴風のため破損したため、夜中に神饌所に御遷座した。
同28年(1895)7月24日、八幡田神幸所の仮殿が26年に流失したため郷ノ城に設けていた仮殿が、大雨のため倒壊した。
同35年9月28日、台風で神殿背後の崖が崩れたり樹木が倒れるなどの被害が出た。
同40年2月10日早朝から降り出した雨はのちに雪に変わり、激しさを増した。境内の樹木が倒れるなどの被害で出た。11日も降雪がやまず、朝から予定していた紀元節の式典と遥拝式は雪掻きなどのため遅れた。
同41年8月10日、大雨が降って洪水。神庫と神楽殿の屋根の一部が壊れた。
同42年8月21日、境内の松の巨木が倒れ玉垣など12ヵ所に被害を受けた。
大正5年(1916)3月6日、地震があり建物が大きく揺れたが被害は不明。同8年7月23日、背後の山林に落雷があった。
昭和6年(1931)2月9、10日の両日、大雪が降り、10日朝には6寸(約18センチ)も積もった。9日夕方から境内の樹木が音を立てて折れたり曲がったが、被害はなかったようだ。同11月2日に地震が発生したが被害は生じなかった。
同16年10月1日、朝から大雨となり、禊川(現寒田川)が増水、車寄せ近くの玉垣や石垣が破損し大きな被害が出た。また、藤棚の一部が破損、境内の桜の木が一本倒れた。
同18年7月26日、御神庫の裏の崖が崩落したが幸い無事だった。同9月20日には暴風雨で境内の星差川(現西寒多川)に架かる裏参道の石橋ともう一つの橋が流失。藤棚の下の玉垣の大部分も流れた。また、表参道や萬年橋記念碑背後の石垣が寒田川の決壊で大きな被害を受けた。
同21年(1946)1月27日夕方、老松が大きな音を立てて倒れ、危うく鳥居や手水舎などが壊れるところだったが、わずかに免れて被害を受けずに済んだ
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