Saturday, March 24, 2018

大分市最古の風俗嬢との心中事件(「その頃大分は?」シリーズ)

大分市に「かんたん」と呼ばれるレアな名前の町があります。地名由来は諸説あるのですが、「蓮」という意味なのだそうです。その「かんたん」で古くから「浜の市」というお祭りがあり、現在の正式な地名は「浜の市」になっています。

この町にはかつて遊女屋があり、現在もその頃の名残の建物を見ることができます。
柞原八幡宮が生石の浜の放生会に神幸する仲秋祭「浜の市」。江戸時代には、西日本の三大市に数えられ、府内城下町の最大のイベントでした。藩主の座布団をかたどったとされる「しきし餅」が売られています。(大分県の観光情報サイトより)
大分市民なら一度は耳にしたことがある「しきし餅」は、明治時代が起源であり当時の人達が食べたスイーツではありません。

「浜の市」の期間は、8月11日~9月朔日(旧暦)までとされており、ピークは14日の放生会。

府内日記によると、

元禄11年8月14日: 40,000人ほど
元禄14年8月14日: 30,000人ほど
元禄16年8月14日: 80,000人ほど

が訪れるビッグイベントでした。多少「盛ってる」データではないかと思われますが、平成29年の「大分市西大分地区の魅力向上及び市内周遊促進・インバウンド受入環境検討事業」を読んでみると、ほぼほぼ興味なしという結果。「街角のマーケター」には、元禄16年のインバウンド激増現象の要因が気になるところです。


これだけの人が集まるイベントですから、商売だけではなく「飲む・打つ・買う」の方も盛んであったことはイメージしやすと。「居酒屋」「金貸し」「女郎屋」は、鎌倉時代から存在したビジネスです。

「浜の市」の遊女屋については、近松門左衛門の「百合若大臣野守鏡」にも登場するほど有名だったようです。

事件は、元禄9年9月13日「浜の市」で起こりました。

元禄9年は、西暦1696年。前後には「江戸大火(八百屋お七の火事)(1862)」
「生類憐みの令(1687)」「赤穂浪士討ち入り(1702)」「富士山噴火(1707)」、東山天皇・徳川綱吉の時代まで遡ります。

府内藩士平野清右衛門の忰(せがれ)吉太夫は12日の夜に浜の市にくり出し、お目当ての女郎・奥州さんが所属する揚屋(遊女屋)に向かったのです。この揚屋の経営者は、田町小屋長左衛門で、奥州さんは、宮島の作兵衛という男の抱え遊女でした。

日が変わり13日暁七ツ時(午前4:00)、吉太夫は奥州さんの喉を刺し、自分もまた喉をついて心中を計ったのですが、吉太夫は未遂に終わり、後に打首になったとさ。

文献には心中の理由は記述されていませんが、無理心中と書かれていないことから、お互い覚悟の上での自殺だったのではないでしょうか。現代の時代劇でも、武家の悴と遊女の心中ストーリーを目にします。愛し合ってはいけない2人。惚れた女が遊女だった。近松門左衛門が亡くなったのが、事件が起こった元禄9年。もし時間がずれていたら、この心中事件が浄瑠璃で演じられたかもしれません。


これが、大分市で記録されている最古、322年前の風俗嬢との心中事件です。子孫の方がいらしたら、ご先祖様の過去を「週刊文春」ぽく掘り起こしてすみませんでした。


追記:私は郷土史の専門家ではありませんので、もしかしたらこれより以前にもあったのかもしれません。(口伝ではなく文献に記述されている事件)

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