Saturday, March 17, 2018

国会議員先生の「週休7日が幸せか」発言で考えたこと

「ドリトル先生航海記」に出会った小学生の私。その後、「トムソーヤの冒険」や「海底海底二万里」などの冒険物語を読み漁り、年相応に、時代相応に空想の世界を楽しんでいました。

その影響があったかどうかはわかりませんが、いつ頃か海の向こうの世界に憧れを持つようになり、高校2年生の夏にアメリカ武者修行一人旅に出かけました。ロサンゼルスオリンピックの年です。日本に帰る飛行機が飛び立ち段々小さくなる大陸を眺めながら「またこの国に来るんだろうなぁ」と何となく漠然と考えていました。それは、決して強い決心ではありませんでしたが、高校を出てからアメリカで暮らすことになりました。

自分の知らない世界を知りたいという欲求。

この歳になっても知らないことだらけなのです。

丑三つ時に登拝をすること、世界で一番ゴミを拾い歩くことを含めて、自分の知らない道を歩きたくなる欲求があるのです。

丑三つ時の神体山に一人で入り、真っ暗な登拝道を上っていくのです。そして、岩座の前に立ち手を合わせ、ひたすら3-4時間の掃き掃除をするのです。

それで何を知ることができるのか?

山の呼吸、木々の囁き、動物たちの気配を感じることができるようになります。私が掃除を始めると、竹ボウキの掃く音で山の住人たちが集まってくるようになりました。ここに鎮座する岩座が、2000年近く崇め守られ続けてきた意味がわかるようになりました。

ゴミを拾って何を知ることができるのか?

ゴミを25,000 kmを拾い歩いていると、15 kmの道中で前日にあった小さな小石がなくなっていることに気付くようになります。普通の人には見えないゴミが見えるようになります。ゴミって光るのです。

その内、落ちているのはゴミだけではないことに気付くようになります。悲しみや怒り、涙を拾うこともあります。涙はゴミ袋に入れることはできないので、川に流すのです。

人や動物が命を落とす場所というのは、ゴミが多く落ちているのです。人が亡くなった場所がわかる時もあります。ゴミ拾い中で親しくなった方に「ここで人が亡くなられたことがありましたか?」と聞いてみたところ、「あんた、そんな事がわかるんかい?」と驚かれたことがあります。それは、霊感などではなく、ゴミ拾いの経験でわかることです。

まだまだ知りたいことは沢山あります。宇宙的の果のことからどうでもいい些細なことまで。西安からシルクロードを天竺まで歩いてみたいと思うこともありますし、世界のゴミを拾い歩きながら地図にないどこかの道で息絶えてもよいかなと思うこともありますが、取り敢えず「地球一周までは生きさせて下さい」と。

・肥後街道: 124 km
・大分市佐賀関~肥後街道~長崎: 250 km
・東海道: 500 km
・奥の細道: 2,400 km
・ルート66: 3,755 km
・シルクロード: 7,000 km
・母をたずねて3,000里(マルコ・ロッシ): 12,000 km
・天竺まで(三蔵法師シルクロードコース): 15,000 km
・地球半周: 20,000 km 
《今ココ》
・地球1周: 40,000 km
・月まで: 380,000 km
・イスカンダルまで(1974年): 14万8千光年(現在 15万7千光年)

究極は「死後」の世界を知りたくなるのだと思うのですが、その前に「生きる」ということについてもっと知りたいと思っています。

ゴミを拾い歩くことは、「生きることを知る」ことでもあるのです。

「周利槃特尊者」は、お釈迦様のお弟子さんです。物忘れが激しく、自分の名前さえ覚えられないこの弟子にお釈迦様はホウキを与え「掃除をなさい」と命じ、それを繰り返すうちに「掃除をしているのは、実は自分の心の塵を払っていることなのだ」と悟ったのだそうです。

当然ことながら、私はまだ何も悟ってはおらず、それ以前に今まで何一つ成し遂げたことのないダメダメ人間なのですが、「今あなたの見ている世界が全てではない」ということをどこかの誰かに伝えられたらと思っています。

そして、国会議員先生には、毎日ゴミを拾い歩きなさいと。

大分で自殺を考える人達へ

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