Sunday, January 21, 2018

「あいつが悪い」「いやお前だ」「オレはいいけどお前はダメ」

今の世界・日本は、そんな話ばかりです。
河川敷の木を伐採しようとすると、自然保護を訴える方達が抗議をします。

コミュニティの方達は、「そんな事ばかり言ってても」と不満を抱かれます。

その河川敷の林や藪はゴミの投棄場所となるのです。大雨のあとは上流から流れてきたゴミが引っかり堆積する場所となるのです。

自然保護を訴える方達がそのゴミを片してくれるわけではなく、コミュニティの方達も片しません。

自然を守り、野鳥を愛でなければなりません。
コミュニティの方達の生活や河川の保全も大切です。

両者とも正論なのですが、文句の言い合い、不満の抱き合いで解決しますか?

誰かがやらなければならないのです。

だから、私は毎日通常のゴミ拾いに加え、河川敷の林や藪の中に入ってゴミを片しているのです。(夏季は入り込むことは難しくマムシも出ますので、晩秋から春までの間ですが。)

誰かがやらなければ、事態はどんどん悪化するばかりです。

それは、何事も同じではないでしょうか。

右とか左とか。

バケツの穴を塞がず、漏れ出す以上の水を注ぎ続けていては穴が大きくなるばかりで、近い将来底が抜けてしまいます。
水の漏れる音は、段々大きくなっています。

皆さんには聞こえなくとも、日々15 km/24,000 kmのゴミを拾い歩く人間には聞こえるのです。

しかしながら、皆さんそんなことには興味なく、いつも通り底が抜けてから慌てて動き出し、「あいつが悪い」「いやお前だ」の言い合いになるのでしょう。


前に進むには、共存のためにはリエゾンが必要です。私利私欲なく自ら泥水やヘドロに手を突っ込める優秀な人が必要です。そんな人、この国に何人生存していますか?

国難です。県難です。市難です。
世の中の混迷困窮が続くと、人の攻撃の矛先は外へ向かわず、内に向いがちだ。

異物を排除しようと法律や規則が強化されつつある。気が付くと我々は、法律や規則に強く依存しており、自分で何も決めず考えなくなっている。

杓子定規な言い分や愚にもつかない大義名分に縛られ、身動きがとれなくなっている。

我々の先人は、問題解決の時、知恵を使ってきた。

それが難問であればあるほど、予めの決まり事や約束事に捕われず、発想豊かに知恵を使ってきたのだ。

嘘や理屈に合わぬ事、時には非合法な事も必要だ。

この世界を本当に動かしているのは、法律でも規則でも無い、そんな人間の優れた叡智なのだ。

人は善く生きれば良い、善く生きる事がすべてだ。

京の散歩道より~京都日報コラム~

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