Wednesday, May 31, 2017

【2017.5.31】孤高のゴミ拾い: 22,221 km/13,801 mi

理由はわからないのですが、今日はゴミ拾い道中沢山の方に頭を下げて頂きました。車中からも。

なぜでしょう?
幼稚園生の行列とすれ違い、皆よいこで大きな声であいさつしてくれました。子供ちゃん達に挨拶してもらうと、それだけで1日気分よく過ごすことができるのです。

子供ちゃん達から学ぶことは沢山あり、「しっかりゴミを拾わなければ」と自戒します。子供ちゃんが少なくなると大人が自戒しなくなるのではないでしょうか。
皆様のご理解とご協力をお願い致します。

Tuesday, May 30, 2017

大分市のモラルハザード【2017.5.30】孤高のゴミ拾い: 22,206 km/13,798 mi

何度も大分市のスラム化について書いてきました。そして、バケツにあいた穴をふさがずに漏れ続ける以上の水を注ぎ続けることで体裁を保っているということも書きました。

私は、1日4時間ほど大分市の「公」のために時間を費やしています。それは、私が好きでやっていることです。盆正月関係なく雨の日以外は、ほぼ毎日続けてきました。何とかこの町が心身ともにキレイになればという気持ちで、皆さんがあまり拾わない机の下のゴミを拾い続け、今日で22,206 kmになりました。

その私が言えること・・・
とうとう大きな穴があいてしまいました。毎年徐々に大きくなっていたのですが、無関心層がマジョリティとなってしまい、ハードルは下がり続けモラルハザード(和製英語)を引き起こしてしまいました。

止まるどころか、ここにきて一気に崩壊した感のある大分市です。

それにしても酷い・・・

飲み食いのゴミや吸殻は勿論のこと、使用済みの避妊具・生理用品、赤ちゃんのオムツ、レジを通していないであろうアイテムなどなど・・・何から何まで。

特定の場所だけの話であはりません。
私が回収している姿を見て、人生の大先輩方が「情けねぇ」と絞り出すようにつぶやき、お婆ちゃんは目を潤ませて私に「ありがとう。ごめんね」とおっしゃいました。

国会中継を見て失望感しかないです。
人生の大先輩方の怒りと不満は、日本の政治に向いています。
大分県・大分市の政治にも向いてきたように思います。
メディアへの不満も大きくなっています。

元々、ゴミ拾い道中にお会いする人生の大先輩方の中では、安倍首相人気はなかったのですが、ここにきて「正直者がバカを見る社会」ということで共産党さんを褒める人達が増えてきたように感じています。

「市役所の玄関前に.ぶちまけよ。そこまでせなわからんのじゃ」と言われる方も。

ポイ捨てゴミが多いのは市役所のせいでも学校教育のせいでもないと私は思っています。道徳教育を受けてきた人生の大先輩方も躊躇せず悪質な投棄をされますし、私だけが感じていることではないのですが、特に今年になってから挨拶をされる人生の大先輩方も少なくなってきました。

「市役所の玄関前に(ゴミを)ぶちまけよ」と言った方にシニア女性が「そげぇまで言うんやったらあんたもゴミ拾いよ」と言うと、「なんしワシが拾わなわりぃんか」と言い返しました。それが、マジョリティの考え方であり、私はそれを聞いて「ごもっとも」と思うのです。政治の方達、市役所の方達、メディアの方達、学校の先生の多くがマジョリティ所属であり、彼らがマイノリティ(絶対的マイノリティ)のために何かをすることはありません。(全くないとは言いませんが)

私を含めて誰もが体裁を整え、机の上だけをキレイにしたがるものです。見にくいものは、押し入れに押し込むか、机の下に落とすかです。

ビジネス挨拶、ビジネス良い人は増えましたが、性根の部分は果たしてどうでしょうか。

最近、殺人者のご近所さんインタビューで「挨拶はきちんとする人(子)ですよ」というのをよく耳にします。

人生の大先輩方が、ゴミを拾っているだけの私なんかに「大分を救ってください」「頼むよ」と手を握って言われるのです。

私は、これ以上の時間を大分市のために割くことができない力不足を情けなく思いつつ、彼らの声が首長に届かないことを残念に思います。 22,206 km拾っても結果は出せず。
ラグビーワールドカップ・国際化・アート・活性化・・・夢のある話・楽しい話は、私も皆さん同様に大好きです。

しかしながら、日々の生活の中で誰かがやらなければならない夢のない・楽しくない現実も多く、特にポイ捨てゴミは、人間の性根の部分の話で社会の鏡ですから。

【1:29:300の法則】
1件の悲劇がある。その背景には29件のトラブル、300件の「ヒヤリ」「ハッ」とする体験がある。

300件の「ヒヤリ」「ハッ」とする体験から9件のトラブルのステージに入った大分市です。

市議選が行われても、投票率は48・18%。

「無関心は人間の最後の抵抗」と言われますが、大分市の皆さんは何に対抗しているのでしょうか。


22,206 kmの経験からもうひとつだけ・・・

標語やイベント的ゴミ拾いでは、バケツの穴をふさぐことはできません。ビジネス常識人は増えると思いますが。穴の拡大スピードは、速いですよ。
今日回収した場所もまたすぐに元通りゴミだらけとなるでしょう。今日は3袋分拾い、1袋はたまにお会いする方が引き取ってくれました。ありがとうございました。

皆様のご理解とご協力をお願い致します。(自省と自戒)

OPEN YOUR EYES!

Monday, May 29, 2017

死生観【平成29年皐月29日】孤高の登拝160度目(Going-to-the-God Trail)

丑三つ時、西寒多神社に着く。神社沿いの禊川(寒田川)で一粒の蛍の光を見た。街路灯がLEDに変わり蛍も困惑しているのではないかしら。

LEDは革新的なアイテムだが、色気がねぇのが欠点だ。
生暖かい西寒多山(本宮山)登拝道だった。山の住人達の気配は全く感じず。TVの怖い番組の中で山の中で音がすると「出たぁ!」と叫んだり、「あそこにいますね」と言う専門家がいるが、真っ暗な山の中を歩くと何も音がしない方が怖いということがわかるようになる。

登拝五拾度目くらい(一年ちょい)になると、オカルト的な怖さは感じなくなり、現在に至っては、明るい時よりも真っ暗な山の中にいる方が心地良い。山の住人達に出会うこともあるが、今のところ『孤高の登拝人』にはフレンドリーである。夜の西寒多山は、人間の世界ではない。神体山である西寒多山やそこに住む住人達へのリスペクトを忘れないなことだ。

そして、神様も夜行性だ。
登拝・清掃中、死生観についてあれこれ考えた。

命を粗末にする人達が増えた。

世界中で一日に何人が殺められ、自らの生きる道を閉ざすことか。

爆弾を抱えて人を殺せば神の傍に行けるという言葉を信じて死んでみたところ、暗黒の世界に迷い込み「あれ?話が違うじゃないか!」というのはよくある話で。
子供の頃から死ぬのは恐く、何度べそをかいたことか。大人になっても恐かった。そして、『孤高のゴミ拾い』を始め、その一年後に『孤高の登拝』をするようになった。

登拝を繰り返し、奥宮を掃き清めながら『西寒多の神』と会話をすることで、死生観に変化が生じてきたように感じている。死への恐怖はあるものの、それは以前ほどではなく、その代わり家人や知人の死に対して恐さを感じるようになってきた。他人の死に対しても考えるようになった。
いつも通り入口道から作業を始める。
山の上の木々に囲まれた奥宮は、清掃を怠るとすぐに神々しさが消え、おどろおどろしくなってしまう。(過去の写真↓)
ただ落葉を片せばよいわけではなく、清掃するだけならルンバでもできる。
感謝をしながら掃き清めることは、自らの心の中を清めることでもある。
心の中を清めることを怠れば、すぐにおどろおどろしくなってしまう。(過去の写真↓)
掃き清めることを怠れば、光も風も「氣」も通らなくなるのは、奥宮も心も同じこと。(過去の写真↓)
三時間休まず掃き続けた。
They are all perfect.
先日、三島由紀夫先生の「豊饒の海」を読んでから文豪の遺作を読み漁っている。そこから文豪の死生観と死のサインを読み取る(感じとる)。昨晩、太宰治先生の「グッドバイ」を読んだ。出筆途中で自殺したので未完となっているのだが、おもしろくなりそうな所で筆が折れた。掃き清めながら、話の続きを妄想した。

あの頃の文豪に自殺者が多いのは、少なからず戦争の影響があってのことではないかと思う反面、戦争の悲劇が彼らの筆に命を与えたのではなかとも思っている。

戦争はない方がいい。

未完の「グッド・バイ」を読み終わり本を閉じた時につくづくと。
下界に戻りながら「飛翔体」という三文字が、脳裏をよぎった。
穏やかな一週間でありますように。皆様にも。

【2017.5.29】孤高のゴミ拾い(西寒多神社ルート編): 22,191 km/13,789 mi

手の届かない所に沢山のゴミがあるのですが、私ではどうにもできず。コミュニティの方達もさぞかし目障りなことでしょう。

西寒多神社周辺にお住いのマダムさん達が、周辺のゴミ投棄事情を教えてくれました。西寒多神社周辺は捨てられやすい場所が沢山ありますから。

寺社に液体をかける人達と一緒ではないかと思うのです。
皆様のご理解とご協力をお願い致します。

Sunday, May 28, 2017

スピーチレス【2017.5.28】孤高のゴミ拾い: 22,179 km/13,781 mi

マイノリティと絶対的マイノリティによって守られている町。
嘘とまでは言わないが、正しくはない町。
美徳(excellence)は、訓練と習慣の賜物である。  
我々が何であるかは、我々が繰り返し何を行ったかによって決まるのである。   
それゆえ、美徳は行いではなく、習慣なのである。    
我々は、あらかじめの美徳が具わっていたり、卓越した能力があるからこそ正しい行動ができるのではなく、正しい行動をするからこそ、美徳や卓越した能力が得られるのである。   
 ~アリストテレス~
全ては自身の心の中に。

Saturday, May 27, 2017

しんぷる【2017.5.27】孤高のゴミ拾い: 22,164 km/13,722 mi

Simple is the best.

シンプルに見える物事の見えない部分の作業を大切にしたことがベストなのであり、それがないものは、ただのシンプル。

人様からは見えないところでの作業が大切だということ。努力も料理もゴミ拾いも何事も。つまり、昔ながらの仕事をキチンとすることが、「Simple is the best.」ということではないでしょうか。(猛省と自戒)

『孤高のゴミ拾い』は常に片思い。
ペット関係の異物も相変わらず多くてね・・・
アメリカの方が、飼い主のマナーはよいですね。(個人的感想)
「公」のマナーについては、残念ながら日本は世界の手本にはなれません。大分もですけど。
皆様のご理解とご協力をお願い致します。

西寒多神社: 豊臣秀吉関連古文書

豊臣秀吉直書状(直書)写

天皇の意を受けて、関白秀吉が大友氏と島津氏との和睦を勧告したもの。

日付、宛名はないが、これとほとんど本文が同じ文書が天正13年(1585)10月2日付けで秀吉から島津氏宛に出されている。

本文書は同日付で秀吉から大友宛に出された「惣無事令」の内容で、これを受けて大友宗麟が大坂城へ登城することになった。
豊臣秀吉書状(朱印状)案

敵方へ通じる豊後国侍の動きをうけ、秀吉が大友義統と仙石・長曾我部両氏に対して筑後への出兵をすぐにやめ、府内に軍勢を入れて上方の軍勢が来るまで少しも動かず守りを固めるように命じたもの。

あわせて、右馬頭(うまのかみ)こと毛利輝元に対しても同様に指示したことや、さらに先発隊として備前衆・淡路・阿波の国侍を派遣したことを伝えている。
豊臣秀吉書状写

3月1日の自らの出陣を伝え、今しばらくはむやみに動くことなく、城の守りを堅固にするよう指示した秀吉の書状。あわせて秘蔵の平釜の贈呈に対して感謝の意を伝えるとともに、その返却を伝えている。

日付、宛名はないが、秀吉の九州出陣及び将軍義輝から宗麟へ与えられた「平釜」の記事があることから、天正15年(1587)2月に宗麟宛に出された内容とみられる。

Friday, May 26, 2017

地球のきもち【2017.5.26】孤高のゴミ拾い: 22,149 km/13,763 mi

日々大分の山河に触れながら考えるのです。
地球に何か良いことしているのだろうか?
自然に何か良いことをしているのだろうか?

「もし地球から人間がいなくなったら」というイメージ映像です。地球にとっては、人間がいない方が幸せなのかもしれません。(最後まで見てね)

エコロジストでもナチュラリストでもないのですが、自分なりに深く考え反省する日々です。

ポイ捨てゴミを拾いながら「不遜だな・・・」と思うのですよ。勿論、私を含めてです。
皆様のご理解とご協力をお願い致します。

Thursday, May 25, 2017

【2107.5.25】女性宮家

意見は様々あってよいと思いますが、「腹切る覚悟でこいよ」というのが、私の意見です。

2000年続いてきたことを崩すということは、そういうことですよ。苦難を何度も乗り越えて125代まで継承してきたことです。

覚悟がないのならすっこんでなさい。

毎日のように神社を参詣する人達は、世界で最も長く続いている自国をリスペクトし、お天道様に感謝しているのです。
私は勝元同様「お上のお言葉こそ、この国に道をつけるのです」という気持ちだけです。

イデオロギーの話ではなく、アイデンティティの話。外国に長く住むことで眠っていた日本人DNAが目覚めたということなのかもしれないです。

私は、世界のどこに住もうが、大分生まれの日本人であるとは、今までもこれからも不変です。私に二つの国籍は必要ないです。

同じく2000年近く崇め続けられてきた西寒多神社奥宮に鎮座する磐座(西寒多の神のご実家)を守り続け、次の時代に繋がなければならないのです。繋がらないのであれば、「自分が最後の門番」という覚悟で続けています。

この道歩きたい: Independence Pass, Colorado

Wednesday, May 24, 2017

この道歩きたい: The Logan Ranger District of the Uinta-Wasatch-Cache National Forest, Utah

【2017.5.24】孤高のゴミ拾い: 22,134 km/13,753 mi

カリフォルニア州の海岸線を走るHighway 1で落石地滑りがありました。大分県大野市でも地割れがあり地滑りの可能性があるということです。避難されているコミュニティの方達のご負担がね。
雨を覚悟してゴミ拾いに出ました。途中少しだけ強く降りましたが、お湿り程度で済みました。早く帰宅することを優先したため、ゴミ拾いは浅めに。明日はどうかなぁ。
皆様のご理解とご協力をお願い致します。

Tuesday, May 23, 2017

本末転倒の町【2017.5.24】孤高のゴミ拾い: 22,119 km/13,744 mi

ツバメちゃん達が巣立ってしまいました。空っぽの巣を見るのは寂しいです。もしかしたら第2陣が子育てにやって来るかもしれません。
飲み食いしたゴミ、男性の衣類や下着、女性の下着やストッキングが散乱していました。使用済みの避妊具も散乱していました。ここだけの、今日だけの話ではありません。赤ちゃんのオムツもよく捨てられます。
今まで「大分市のスラム化」について何度も書いてきました。スラム街と言えば、外国のオドロオドロシイ街をイメージすると思いますが、大分市のスラム化は表には見えない所で着々と進み、そのスピードは加速しています。

通学路で使用済みの避妊具や女性の下着が捨てられているなど、外国のスラム街でもあまり見ない光景です。

更に問題なのは、大分市民がそのことに気付いていないということ、見て見ぬふりをしてはいけない人達が知らんふりをしているということです。認めたくない人達も多くいるのでしょう。

「一時期の話」「一部分の話」と云う人達がいます。だから私は盆正月関係なく毎日、1日15 km/10ほどのコミュニティを拾い歩いているのです。

ゴミを拾って22,000 kmの道中で多くの人生の大先輩方に道徳論を拝聴しました。昨日も書きましたが、大分新聞さんに取材していただいてから大分以外の方からも沢山のメッセージを頂戴し、その多くが道徳についてです。

私は道徳を語れるレベルの人間ではなく、皆様の「道徳がなってない」というご指摘は、そのまま私に対しての叱咤であると受け止めています。

道徳論の多くは、「今の若いもんは」「考え方が古い」というような年齢ギャップの埋まらない水掛け論になってしまいます。

人生の大先輩が云う所の「若いもん」というのは私の世代であり、私の世代の云う所の「若いもん」は20-30代のことでしょう。

人生の大先輩方が私の世代の「若いもん」に話をすると、「自分達には自分達の考え方ある」「なぜ、若いもんがやらなければならないんだ。年寄りができるなら年寄りがやればいい」と云うのだと。

そして、我々世代は「若いもん」に対して「ゆとりだからできない」と云い、彼らに「ゆとりでしょ? そう言うあなたは バブルでしょ?」と反撃されてしまうのだ。

「貴方はどうお考えですか?」と意見を求められます。

私は「できるもんがやればよい」と思っています。ゴミを拾える者が拾えばよいと。問題は、私の世代に「拾えるもんがいない」ということなんです。口ばっかり達者で足が動かないバブル末期世代です。その世代が高いポジションにつき、その子供達が主戦力となっている現状で、今以上に期待できることはないです。人生の先輩方にもイロイロなご意見の方がいらっしゃいますし、無関心・見て見ぬふりの人も少なくはないです。

この町のゴミを22,000 km拾いながらこの町を勉強し観察してきました。

ポイ捨てゴミの問題は、ゴミだけの問題でないことがわかりました。

「足元のゴミひとつ拾えぬほどの人間に、何ができましょうか。」(鍵山秀三郎)の意味がよくわかりました。

机の下のゴミを拾い歩くことで、
「人間の心は、そう簡単に磨けるものではありません。ましてや、心を取り出して磨くことなどということはできません。心を磨くには、とりあえず、目の前に見える物を磨ききれいにすることです。とくに、人のいやがるトイレをきれいにすると、心も美しくなる。人は、いつも見ているものに心も似てきます。」(鍵山秀三郎)
の意味もよくわかるようになりました。

そして、この町のシステムが本末転倒であることにも。

『本』は、本学のことであり人として必要な学問。
『末』は、末学のことであり生きていくために必要な学問。経済・IT・英語など。

本学が背骨であり、末学が筋肉なのです。本学あっての末学であり、それがひっくり返ってしまう状況が本末転倒なのです。
できる人間がやればよいのですが、やれる人間がいないのです。目立つことばかり、楽しいことばかり、楽なことばかりではなく、「誰かがやらなければならない」ことがあるということは皆様ご理解されていると思うのですが、性根の部分で動けないのです。

人間の性根というのはそう簡単に変わるものではないのですが、性善説で性根に期待し続けてきた結果がこの有様です。現状が当たり前の世代にとっては、「別にいいやん」ということなのかもしれません。

アメリカ風の言葉で云うと、「豚に歌を教えようとしてはいけない。それは無駄なことであるし、豚も迷惑だ。」です。

考え方を変えなければ。このままの状態では、スラム化のスピードは更に速くなり取り返しのつかないことになってしまいます。一見キレイに見える家でも床下をみればシロアリだらけなのです。ポイ捨てゴミは社会の縮図です。これからも机の上だけを片しますか?

この地は、子孫からの預かりものです。夢いっぱいの若い世代、元気いっぱいの子供ちゃん達、ヨタヨタ歩き始めたちっこい子供ちゃん達、生まれたての赤ちゃん、これから生まれる新しい命に今以上の負を背負わせるおつもりか?

誰が本気なんだ?

猛省と自戒。
What is moral is what you feel good after, and what is immoral is what you feel bad after.
( 道徳的なことは後から気持ち良く、不道徳なことは後で気分が悪い)
~アーネスト・ヘミングウェイ~

皆様にとって興味のないことであることは承知で、皆様のご理解とご協力をお願い致します。

Monday, May 22, 2017

【平成29年皐月22日】孤高の登拝159度目(Going-to-the-God Trail)

心地良い丑三つ時、美しい星空の西寒多神社に到着。昨年同時期(月末)の歩記を読み返すと蛍のことが書かれていたが、蛍にとってはまだ寒い夜かもしれない。

境内が明るく感じたのは、LED電灯に変わったせいかな。
奇妙に思われるかもしれないが、日々の生活で一番落ち着き心地良いのが丑三つ時から夜明けからちょっとまでの西寒多山(本宮山)と奥宮である。神体山を覆う神々しさに癒されるのかもしれない。
『西寒多の神』に登拝道を開けて頂きパラレルワールドに入るのだ。

パラレルワールドを歩くには、日々の生活にはない緊張感と集中力が必要となる。西寒多山の呼吸、山の住人達の気配、木々の囁きを感じながら奥宮に向かって上がっていく。

年に何度か人工的な香り(香水的な)を感じ立ち止まってしまうことがある。灯りをあっちこっちに向けて匂いの元を探すが見つからず。人とすれ違った時に匂う一瞬だけの香り。
展望台からの大分市街地も美しく、いつもより新日鉄が明るく輝いていた。
冷たい風が奥宮を吹き抜け、しかしながら寒くはなく、気持ちよく奥宮入口道から掃き掃除を開始した。ルーチンは変えないこと。
5月に入ってから国内外の様々な立場の老若男女から道徳についてのご意見を直接、ネットを通じてお聞きした。現状を嘆く声が多い反面、直接的な表現ではないにしろ「道徳なんてくそくらえ」というような意見もあった。
寺社関係の方からもご意見を頂戴した。気持ちや希望は置いといて、現実的な問題として寺社の存続については今後更に難しくなっていくのであろう。それも急速に。

避けては通れない待ったなしの案件だ。

希望はベストを、プランはワーストを。
「誰も来ないかもしれない山の上のお宮を掃除しているのはなぜ?」と聞かれることも多い。

何人来るのかが問題なのではない。零人でも百人でもやることは同じ。私は自然とお付き合いをし、『西寒多の神』のご実家を掃き清めているだけなのだ。

自己満足と言えば、理解しやすいのかもしれない。
『西寒多の神』は、特別な信仰心を持たない私を磐座まで誘い、そして私は掃き清め続けている。

二千年近く継承され続けたことを、この時代に終わらせる覚悟は私にはない。
天皇陛下のご尊顔が浮かんだ。

【<陛下>退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」】という毎日新聞さんの記事を読んだことが影響してのこと。
安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。
 宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。
 記事(言葉)通りであるとするならば、「失礼にもほどがある」というのが、私の見解だ。
国会議員の石破先生の「皇室が終わるときは日本が終わると思っている」というご意見は、まさにその通りであると。

天皇陛下、皇室に対する思いは人それぞれで、「どうでもいい」という人も少なくはないが、「皇室が終わるときは日本が終わる」その覚悟のある日本人はいないはず。

私自身は「天皇陛下万歳!」としたことはないが、陛下にカメラを向けることはできない。

アメリカ合衆国大統領が、レッドカーペットを敷いた空港まで出迎えに行くVIPは、「エリザベス女王」「ローマ法王」、そして「日本国天皇」の3名のみである。
The hands that build can also pull down.
物を作る力は、同時に壊す力でもある。

「今の日本がつぶれても新しい日本を作ればよい」という意見もあるだろうが、壊すだけの壊し屋は存在しても、今の日本人に作る力などない。
政治家が天皇陛下をコントロールするような言動に嫌な予感しかせず、口の中が苦くなった。

やはり国難なのかもしれない。
They are all perfect.
私には何のチカラもないが、せめて奥宮に鎮座する磐座(石嶺殿)だけは未来永劫の存在であって頂けるよう掃き清め、下界のゴミを拾い清め続けたいと思っている。

継承することと、時代の変化に適応すること。

非情に難しい日本の課題である。
緑が日に日に濃くなっていく。
真っ暗な世界で感じた匂いは、明るい世界では全く感じることはない。
西寒多神社に戻り一足お先に戻られた『西寒多の神』に「ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えると、す~っと後頭部の辺りから何かが抜けた。
五十になって初めての登拝も無事終えた。平穏な一週間でありますように。皆様にも。

夏の風物詩【2017.7.26】孤高のゴミ拾い: 22,848 km/14,197 mi

この時期になると、多くのホラー的心霊関係のメッセージをもらうようになります。 「西寒多神社は心霊スポットなのか?」 「西寒多神社で焼身自殺があったというが、詳しく教えてもらえないか?」 「奥宮は幽霊が出るというが貴方は見たことがあるか?」 「奥宮は(心霊的...