Friday, April 21, 2017

修行が足りん!

ポイ捨てゴミというのは、ある一部の地域が減少したからと言ってポイ捨てゴミの総数が減ったわけではないのだ。

その場所でゴミを捨てなくなった人は、違う場所で捨てるんだ。

人間の性根ってのは、そう簡単に変わるもんじゃねぇんだぜ。

盆正月関係なく毎日15 km、10ほどのコミュニティを拾い歩くと、そういうことが分かるようになるもんだ。

ある時期に拾う人は、その時期のことしかわからない。

ある一部の地域を拾う人は、その一部の地域のことしかわからない。

木だけでなく林も見なければならない。

更に、ポイ捨てゴミはゴミだけの問題でもない。

教育・道徳・経済・治安など社会の源にある「人として」の問題なのである。

森も見なければならない。

視野を広くというのは、何事にも共通する事ではないかな。

今日のゴミ拾い道中、府内大橋付近を散歩していた70歳くらいの男性が小生の持つゴミ袋を見て、「ゴミが多いねぇ。けど、ここら辺は前より減ったんだよ。意識が変わってきたのかねぇ」とおっしゃった。

彼は、小生がここら辺のゴミを5年間毎日拾っていることを知らないのだ。

ある一部分を切り取り都合よく話したり判断したりということはよくある話で、小生自身も反省することが多いのだ。


木々に囲まれた奥宮を掃き清めていると、つくづく「自然と付き合うってのは大変なことだな」と思うのである。掃いても掃いても一年中葉が落ちるのだ。

下界のゴミを拾い歩き、つくづく「人間と付き合うってのは大変なことなんだな」と痛感するのである。拾っても拾っても一年中ゴミが落ちているのだ。

奥宮は神々しく清々しい気持ちで掃き清めることができるのだが、下界の現実社会では清々しく拾うことが難しい日もある。

今朝がそういう日だったのかもしれない。

ゴミを拾う姿勢に出ていたのかもしれない。

たまにお会いするお婆ちゃんに「いつもありがとうね。あなたに一つお聞きしたいんだけど」と、笑顔で声を掛けて頂いた。人生の大先輩方に「あなたに一つお聞きしたいのですが」と質問されることが多くなったこの1年。

「ゴミを拾ってて何か良いことあった?」と、細い目を更に細くし優しく聞いた。

キレイな事は言えなかった。

半年くらい前に半世紀にわたって西寒多神社の境内を毎朝掃き清めているTさんが、「気付かないうちにいつの間にか『やってやってるんだ』(掃き掃除をしていること)という気持ちを持ってしまっていた時期があった」と、なんの脈絡もなく突然おっしゃった。

その時は、ご自分の反省を小生に伝え戒めの気持ちを持つようにと諭して下さったのだと勝手に理解したのだが、もしかしたら、小生の姿勢に不遜な部分を垣間見たのかもしれないと。

「ゴミを拾い歩いて失ったものは何もないです」と答えると、お婆ちゃんはポッケから飴玉を1個取り出し小生の手のひらにのせてくれた。

一つゴミを拾い、一つ反省
一つゴミを拾い、一つ感謝

一歩一歩しっかりと「道」を歩いていきたいと。

五体投地で大切なのは、

ズルをしないこと

そして

他者のために祈ることだ。

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